蕎麦の歴史は古く、その起源は「縄文時代」までさかのぼることができます。400年ほど前に「そば切り」が考案され、全国各地の風土や文化に醸成されながら特色を持ったそば(そば切り)やそば料理が全国に根づき、そばは我が国を代表する食文化の一つとなっています。(新・そば打ち教本P.78より引用)
全国各地に伝わる郷土そばは、つなぎにその土地ならではの材料を用いたり、独自のそば道具や技法で打たれたものなど、風土気候によって全国さまざまです。ここでは一部をご紹介します。
戸隠そば(長野県旧戸隠村)
長野県旧戸隠村一帯のそばをいう。挽きぐるみのそば粉を用いた二八そばが一般的である。熱湯をそそぐ、一本の麺棒に麺体を巻き付けて延し台にたたきつけて丸く延すなどの打ち方、竹細工のざるにそばを丸く巻いて五ぼっち盛りで出すなどの特徴がある。ぼっちとは束ねるということ、五は戸隠五社にちなんだ数で、竹ざるには戸隠特産根曲り竹を用いるなど、戸隠流そばのおもてなし方になる。戸隠山周辺は標高1200m前後の標高で、霧が多く発生し、昼夜の寒暖の差が激しいため、ソバの栽培に適し、ソバが霧の下で成長するため「霧下そば」の名で知られている。岩手県のわんこそば、島根県の出雲そばと共に、日本三大そばの一つである。
富倉そば(長野県飯山市富倉地区)
長野県飯山市富倉地区で古くから各家庭で雄山火口「オヤマボクチ(キク科ヤマボクチ属の多年草で、アザミ類であるが山菜としてはヤマゴボウと称される)」葉を乾燥させて葉の裏の繊維を取り出して、それを煮出して柔らかくしそばのつなぎとして、そばを打つことを長年受け継がれてきている郷土そばである。近年は長野県木島平村の名水でオヤマボクチをつなぎとして「名水火口そば」(メイスイボクチソバ)と命名し木島平村でも、そばが打たれています。
越前そば(福井県嶺北地方)
昔からそば処として有名な越前(福井県嶺北地方)の郷土そばで、大根おろしにだし汁をかけた「ぶっかけそば」、だし汁に大根おろしを加えたつけ汁につけてそばを食べるなど、辛味大根のおろしを利用する。「越前おろしそば」が2007年農山漁村の郷土料理百選に選定された。
出雲そば(島根県出雲地方)
島根県出雲地方を中心とした郷土そばで、割子(わりご)そば、釜揚げそばなどがある。ソバの実を殻ごと石臼で挽いたそば粉を使うので、色は黒っぽく見え、香りが強い。三段の丸い漆器にそばを盛った割子そばは、そば汁につけて食べるのではなく、そばの上に薬味をのせ、甘めのそば汁をかけて食べる。岩手県のわんこそば、長野県の戸隠そばと共に、日本三大そばの一つである。
裁ちそば(福島県檜枝岐村)
寒冷地がゆえにそばが主食だった檜枝岐村では、そばにつなぎを加えることなく、そば粉のみをこね、延ばした生地を数枚重ねて、布を裁つように切ります。その切り方から裁ちそばと言われており、代々受け継がれている檜枝岐を代表する料理です。
板そば(山形県)
昔、山形県内陸部では、共同農作業の後や寄合・祝い事など沢山の人が集まる席でそばを振る舞う風習があり、そばを盛る器として大きな長い板や木箱を用いたことから「板そば」と呼ばれるようになった。今では、山形県内のたいていのそば屋で「板そば」が出されている。24×48㎝程の木舟に、太めのそばを薄く均一に盛るのが特徴で、蒸籠に盛るより水分の吸収がそばに適している。通常のもり蕎麦の2~5人前とそばの量が多いが、少し盛りの「半板」や「薄盛」、大盛りの「厚盛」や「昔盛」の注文もされている。
出石そば(兵庫県出石市)
『出石(いずし)そば』は、江戸時代中期に信州上田から国替えになった仙石政明が連れて来たそば職人の技法が、在来のそば打ちの技法に加えられ誕生したとされています。その後、出石焼きの白地の小皿に盛る『出石皿そば』が確立されました。蕎麦は実を丸引きしており、色は茶褐色です。徳利に入ったダシと、薬味として刻みネギ・おろし大根・おろしワサビ・トロロ・生鶏卵などが出される。蕎麦猪口にダシと薬味を入れて蕎麦を食します。通常1人前5皿で供され、1皿単位での追加注文も可能な店が多い。出石焼の小皿は各店舗でオリジナルの絵付けがされており、『出石皿そば』は、蕎麦とともに絵付けされた小皿を見る楽しみがあります。
祖谷そば(徳島県三好市祖谷)
祖谷は、吉野川の支流の祖谷渓谷に沿う地区を指し、祖谷山は日本の三大秘境の一つに数えられるほどで、昼と夜の寒暖差が激しく、そばの栽培に適しているこの地域は、古来から良質のそばの産地として知られている。平家落人の隠れ里であるこの地域に、伝統的に伝わる「祖谷そば」は、在来種で小粒だが、収量が多く、粘りが強いのが特徴である。そばは、殻ごと挽くので、ちょっと黒っぽい田舎そばで、麺が太く短いのが特徴であり、かけそばにして食べます。